伝えたい日本の心「お月見」②
月は、眺める前に「祈る」ものだった!?

――祈りから「お月見」へ。月に託してきた人々の心
9月25日は中秋の名月。
旧暦で生きていた時代、7月、8月、9月は秋の季節でした。8月は秋の真ん中。だから仲秋。旧暦8月15日の「十五夜」は、今の暦ではおおよそ9月から10月ごろ。旧暦の8月15日を今の暦に当てはめると、今年は9月25日。でも天文学上、満月は2日後の27日。
いろいろややこしいですが・笑、とにかく、9月25日は月を見上げてみましょう。
人は、いつから月を見上げてきたのでしょう? その答えを知ることはできませんが、けれど、電気も時計も暦もなかった時代、太陽と月ほど、人々の暮らしに大きな影響を与えたものが、ほかにどれほどあっただろうと思うのです。
太陽は、大地を照らし、命を育む。月は、太陽が沈んだあとの暗闇を照らす。
しかも月は、毎日少しずつ姿を変えながら、満ちては欠け、また満ちていく。その規則正しい動きは、人々に時の流れを知らせ、暦の元にもなりました。
古代世界のさまざまな地域で、太陽や月は神格化され、畏れ敬い、祈りを捧げる対象となってきました。だから、月を見上げるという行為は、もともと「美しい月を眺める」というだけのものではなかったのかもしれません。
月は、眺める前に「祈る」ものだった

中国のお月見の歴史をたどっても、その始まりに見えてくるのは「観月」よりも、まず月への祈りです。
古代中国・周の時代には、春分に太陽を祀り豊作を祈る「春祈」、秋分には月を祀り収穫に感謝する「秋報」が行われていたといいます。
やがて月を祭る日は旧暦8月15日へと移り、月を眺め楽しむ要素も加わっていきました。現在のように中秋節が人々の暮らしの中の大きな節日となっていくのは、宋代とみるのが妥当だとする研究もあります。
ここが、私はとても興味深いのです。
月は、「愛でる」ものになる前に、祈りを捧げる存在だった。
豊かに実りますように。今年も無事に収穫できました。
自然の力に大きく左右されながら生きていた人々が、太陽や月に願いや感謝を託したのは、ごく自然なことだったのだと思います。そしてそれは、日本も中国も、世界のさまざまな地域でも同じでした。
日本のお月見は、いつから始まったのか

日本では、中国から伝わった観月の文化が宮中に取り入れられ、平安時代には貴族たちが月を愛で、歌を詠み、宴を楽しむようになります。
一方で、日本にもそれ以前から、月と農耕や収穫を結びつける信仰や営みがあったと考えられています。
以前、私が主催していた「暮らしの行事を紐解く講座」で講師をしていただいた高山宗東先生から、「日本のお月見は、縄文時代まで遡るとも考えられる」というお話を伺ったことがあります。
文字のない時代のことですから、「縄文時代に今のお月見のような行事があった」と史実として確認できるわけではありません。でも、そのお話を聞いたとき、私はとても腑に落ちたのです。
夜になれば、本当の暗闇が訪れる時代。そこに現れ、夜を照らし、毎日姿を変えながら、決まった周期で再び満ちていく月。
縄文の人々がその月を見上げ、何かを感じ、自然の恵みへの願いや感謝を託したとしても、私にはまったく不思議には思えません。
芋から、米へ。そして団子へ
お月見にはお団子! その団子は丸い。なぜなのか?
高山先生によれば、稲作が広がる以前には、秋に収穫する芋を月に供え、稲作が広がってからは、芋の丸い形を写すように米を丸めたり、米の粉を団子にしたりして供えるようになったのではないか、とのこと。これも、確かな史料によって一本の変遷として証明されていることではありません。
けれど私は、この話にも惹かれます。
芋から米へ。米から団子へ。
人々の暮らしが変われば、供えるものも変わる。けれど、その奥にある、「今年も実りをいただけますように」「今年も実りをいただき、ありがとうございます」という祈りと感謝は、変わらず受け継がれてきたのではないでしょうか。
満月でなくても、美しい
そして、日本のお月見には、もうひとつ私がとても好きなところがあります。
十五夜だけでなく、旧暦9月13日の「十三夜」も愛でることです。十三夜は、日本独自に育った月見の風習とされています。
満月になる少し手前の、わずかに欠けた月も、日本人は美しいと思った。
中国から伝わった十五夜の観月文化を、そのまま受け取るだけではなく、もうひとつ月を愛でる日をつくってしまった。
菊に綿を着せた「菊の着せ綿」にも感じたことですが、こういうところに私は、日本人らしい感性を見るのです。
完全なものだけを、美しいとしない。満ちきる少し前の月にも美しさを見つけ、名前をつけ、愛でる。
古の日本人の感性にはいつも感動します。そしてその感性は私たちにもあるはずで、それは、日本人が失ってはならないもののひとつだと私は思っています。
千年前の人も、私たちも、同じ月を見ている
お月見の歴史を調べれば、いつ中国から伝わったのか、何を供えるのか、なぜススキを飾るのか――さまざまなことがわかります。
でも私は、それだけではないと思っています。
今、私たちがふと夜空を見上げ、「今日の月、きれいだな」と思う。
千年前の人も、きっと同じように月を見上げた。そして、文字に残ってはいない、さらに遠い昔の人たちも、同じ月を見上げていたはずです。
祈った人もいたでしょう。収穫に感謝した人もいたでしょう。ただただ、美しいと思って眺めていた人もいたかもしれません。
人が月を見上げる心は、何千年たっても変わっていないのかもしれません。
今年のお月見には、団子を供え、ススキを飾るだけでなく、ほんの少しだけ、そんな遠い昔の人々にも思いを馳せながら、月を見上げてみませんか。
今、月を見上げられている自分が在ることに感謝しながら。
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