お盆とは、命のバトンに「ありがとう」を伝える日
夏休みではなく、「お盆だから帰る」
「夏休みだから帰省する。」
そんな言葉を耳にするたび、私は少しだけ違和感を覚えます。
私にとって秋田へ帰る理由は、昔から「夏休み」ではありません。
「お盆だから帰る」
その一言に尽きます。
お墓参りをし、仏壇にごちそうを供え、ご先祖さまと過ごす数日間。秋田で暮らした年月より、東京で暮らした年月のほうがはるかに長くなった今も、その感覚は変わりません。
昭和世代には、きっと共感してくださる方も多いでしょう。
けれど、この先も同じように、お盆を迎える人はどれほどいるのでしょうか。
家に仏壇がない家庭も増え、お墓も遠くなり、「お盆とは何の日ですか?」と聞かれる時代が、もう始まっています。
だからこそ、私はこの行事に込められた日本人の心を、もう一度見つめてみたいと思うのです。
命は、何千年ものバトンの先にある
お盆とは何でしょう?
ひとことで言えば、ご先祖さまと過ごす行事です。
そして、この行事で最も大切なのは、ご先祖さまに感謝すること。
なぜなら、ご先祖さまがいなければ、今の私たちはここに存在していないからです。
私たちは両親から生まれ、その両親もまた、その親から命を受け継いできました。
その命のバトンは、何百年、何千年という時間を超えて、一度も途切れることなくつながってきました。
10代さかのぼれば2000人を超えるご先祖さまがいます。20代さかのぼれば、その数は100万人を超えるともいわれます。
その中の、たった一人でも欠けていたなら、私は今ここに存在していません。そう思うと、「ありがとうございます」という言葉しか出てこないのです。
お盆とは、亡くなった人のためだけの日ではありません。
今、生きている私たちが、自分の命の始まりに思いを巡らせ、命をつないできてくださった方々へ感謝を伝える日なのだと、私は思っています。

ご先祖さまは、今も私たちを見守っている
日本には古くから、「人は亡くなると祖霊となり、家や子孫を見守ってくれる」という祖霊信仰があります。
ご先祖さまは遠く離れた世界へ行ってしまうのではなく、家族の近くで静かに見守り、年に何度か帰って来られると考えられてきました。
お盆は、その祖霊を迎え、ともに過ごす大切な時間です。
「お盆」は、日本で育った文化
やがて仏教が日本に伝わると、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という行事が、この祖霊信仰と結びつき、「お盆」という今の姿になりました。
だからお盆は、仏教だけの行事でも、日本古来だけの行事でもありません。
日本人が大切にしてきた死生観と、仏教の教えが響き合いながら育まれてきた、日本ならではの文化なのです。
迎え火にも、盆踊りにも理由がある
迎え火は、ご先祖さまが迷わず帰って来られるように灯す目印。
送り火は、「また来年もお待ちしています」という気持ちを込めてお見送りする火。
きゅうりの馬や、なすの牛には、ご先祖さまに少しでも早く帰ってきていただき、ゆっくり帰っていただきたいという願いが込められています。
盆踊りもまた、ご先祖さまとともに過ごす喜びを分かち合うためのものです。
どれも、亡くなった人を恐れる文化ではありません。
「また会えましたね」
そんな温かな心で迎える文化なのです。
世界には祖先を敬う文化を持つ国もありますが、日本のお盆には、日本らしい優しさがあります。
人は亡くなれば誰もが祖霊となり、家族を見守る存在になる。
幸運をもたらすかどうかで存在価値が決まるのではなく、命をつないできてくださったこと、そのこと自体に感謝する。
そこに、日本人らしい死生観があるように思います。


ありがとうは、時間を超える言葉
今年のお盆は、横浜に住む20代の姪たちと一緒に秋田へ帰ります。
仏壇に手を合わせ、お盆のしつらえを整え、お墓参りをする。
彼女たちにとって、それは小さな頃から当たり前に見てきた夏の風景です。
けれど、いつか実家がなくなり、墓じまいをする日が来たなら、この風景も変わっていくのでしょう。
だからこそ私は思います。
家に仏壇がなくてもいい。
お墓参りができなくてもいい。
一年に一度だけでも、
「今ここに私がいるのは、ご先祖さまのおかげです」
そう心の中で手を合わせる日があれば、日本人が受け継いできた大切な心は、きっと途切れることはありません。
お盆とは、命をつないできてくださったすべての人へ、「ありがとう」を伝える日。
その「ありがとう」は、百年も、千年もの時を越えて、ご先祖さまへと届いていく。
私は、お盆とはそんな日なのだと思っています。
