箸の向こう側――食卓にある小さな結界
前回のコラムでは、日本人が古くから大切にしてきた「結界」についてお話ししました。
神社の鳥居。
茶室の結界。
扇子の一本の線。
日本人は、相手を拒むためではなく、敬意を表すために境界をつくってきました。
そして実は、その結界は私たちの毎日の食卓にもあります。
それが「箸」です。
日本だけなぜ箸を横に置く??
世界には箸を使う国が数多くあります。
中国、韓国、ベトナムなど、アジアには広く箸文化が存在しています。
けれど、食事の際に箸を手前に横向きに置く文化は、日本独自のものだと言われています。
なぜ日本人だけが、箸を横に置くのでしょう。

もちろん、そこに明確な答えがあるわけではありません。
しかし私は、その一本の箸の中に、日本人の自然観や祈りの心が宿っているように思うのです。
箸がつくる結界
箸を手前に横に置く。
それは単なる作法ではありません。
古くから日本人は、食べ物を神や自然からの恵として受け止めてきました。
山の恵み。
海の恵み。
太陽や雨。
土の力。
そして、私たちのために命を差し出してくれた生き物たち。
食卓に並ぶ料理は、もともとは自然の中に生きていた命です。
それは神からの恵みでもあります。
その命をいただいて、私たちは生きています。
だから箸を境に、
向こう側には自然や神様からいただいた恵みがあり、
こちら側にはそれをいただく私たちがいる。
私は、箸はその境界を示す結界なのではないかと思っています。
「いただきます」という言葉
私たちは食事の前に、当たり前のように「いただきます」と言います。
けれど、この言葉の意味を改めて考えることは少ないかもしれません。
「いただく」という言葉は、本来、頭の上に掲げるという意味を持っています。
神仏や目上の人から授かったものを、感謝と敬意を込めて受け取るときに使われてきた言葉です。
つまり「いただきます」とは、
「ありがたく頂戴いたします」
「命を頂戴いたします」
そんな謙虚な心が込められているのです。
神様とともに食べる
古代より、日本には「神人共食(しんじんきょうしょく)」という考え方があります。
神様にお供えしたものを人もいただき、神と人とが同じ食を分かち合うという思想です。
神社のお祭りの直会(なおらい)も、そのひとつです。
また、茶の湯の世界で用いられる利休箸には、両端が細く削られているものがあります。
一方は人が使い、もう一方は神様が使う。
一本の箸を通して、人と神とが食を共にする。
そんな考え方がそこにはあります。
だから日本の作法では、箸をひっくり返して料理を取る「逆さ箸」は本来あまり好まれません。
箸の向こう側には、神聖な領域があるからです。
命と命が出会う場所
私たちは、他の命をいただかなければ生きていくことができません。
野菜も魚も肉も、すべて命です。
その命が私たちの体となり、血となり、明日の命へとつながっていきます。
そう考えると、食卓とは、命と命が出会う場所でもあるのです。
箸の向こう側には、自然があります。
命があります。
神様からの恵みがあります。
そして箸のこちら側には、その命をいただいて生きている私たちがいます。
箸は、あの世とこの世。
自然と人。
神と人。
その境界に置かれた小さな結界でもあるです。
島国が育んだ感性
島国が育んだ感性
日本人がこのような感覚を育んだ背景には、日本の風土も関係しているように思います。
日本は海に囲まれた島国です。
四季があり、山があり、海があります。
時に地震や台風など、人の力では抗えない自然とも向き合ってきました。
だから日本人は、自然を征服するものではなく、共に生きるものとして捉えてきました。
山には神が宿る。
川には神が宿る。
木にも石にも神が宿る。
八百万の神という考え方は、そうした暮らしの中から生まれたものです。
自然は利用するものではなく、敬うもの。
命は所有するものではなく、いただくもの。
その感覚が、「いただきます」という言葉にもつながっているのです。
箸の向こう側
一本の箸の向こう側には、
自然があり、
神があり、
命があり、
祖先があり、
そして私たちを生かしてくれている無数の存在があります。
だから日本人は、箸を取る前に手を合わせるのでしょう。
それは礼儀作法というよりも、
「私は一人では生きていない」
「私は生かされている」
ということへの敬意と感謝の儀式であり、祈りでもあるのです。
手を合わせて、
「(命を)いただきます」
と唱える。
そのほんの数秒の静かな時間。
私は、この毎日の小さな儀式こそ、日本人の心を象徴する、世界に誇ることのできる美しい文化だと思っています。
だからこそ、もっと多くの日本人に伝えたい。
子どもたちにも伝えたい。
そして、日本を訪れる世界の人たちにも伝えたい。
私たちは命をいただいて生きていること。
自然に生かされていること。
一人では生きていけないこと。
もし、この「いただきます」の心が世界に広がっていったなら、人と人との関係も、自然との関係も、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
世界はもう少しやさしくなり、もう少し平和になる。
私はそんなことを、本気で思っています。
前回のコラム:一本の線がつくる世界―日本の「結界」という知恵
