哲学って、何だろう。
「あなたの哲学は何ですか?」
そんな問いを受けるたびに、私は少し考え込んでしまいます。
経営者には哲学が必要だと言われます。
自分の哲学を言語化したほうがいい、とも言われます。
私も、ずっとそう思っていました。
でも、言葉にできませんでした。
そもそも、哲学って何だろう。
私には哲学があるのだろうか。
もしあるとしたら、それは何なのだろう。
経営者としての経歴は長いのに、情けないことに、
そんなことを、実はずっと考えていました。
そして、そんな自分のことを棚に上げて(笑)、
「あなたの哲学は?」と人に尋ねることはあっても、それを自分の言葉で語れる人は、実際どれくらいいるのだろう、とも。
哲学という言葉は、なんだかとても立派な言葉で、そして少し重たい。
と思っていたから、私は、その言葉の前で立ち止まっていたのかもしれません。
このテーマのコラムを書こうと思った理由
今回、このテーマでコラムを書こうと思ったのには理由があります。
きっと、私と同じように、「哲学」という言葉の前で立ち止まっている人がいるのではないか? と思ったからです。
特に、自分らしい仕事をしたいと願う女性や、起業している女性の中には、
「私の哲学って何だろう」
「経営者なら哲学を持たなければいけないのでは」
そんなふうに思いながらも、私と同じように、言葉にできずにいる人がいるのでは?
もしいるなら、私がやっとたどり着いた答えが、少しでも心を軽くするきっかけになれば・・・そう思ったのです。
とはいえ、これは、誰かに哲学を教えるためのコラムではありません。
長い間、自分の中で言葉にならなかったものが、ようやく一つの形になった。

ある出来事が教えてくれたこと
先日、あることで、「紹介者はどこまで責任を持つべきなのか」ということを考える出来事がありました。
私は、自分の役割は情報を伝え、詳しい話を聞く機会をつくること、つまり橋渡しをするところまでだと思っていました。
ところが、「紹介者」という言葉の受け止め方は、人ぞれぞれ違う、ということに気づいたのです。
その出来事をきっかけに、私はあらためて考えました。
私の仕事って何だろう。
私らしい仕事の仕方って何だろう。
「私らしくないことをしない」
私は昔から、何かを選ぶとき、いつもひとつの基準がありました。
それは、
「私らしくないことはしない」
ということ。
好きだと思ったものを届けたい。
ご縁を育てたい。
一人の人へラブレターを書くように仕事をしたい。
自分が感動したことを、おすそ分けしたい。
起きた出来事を、すべて自分の人生の意味へと変えていきたい。
編集者だった頃も、美命を始めてからも、それは変わりませんでした。
哲学とスタイルの違い
では、哲学とスタイルは何が違う? それとも同義語?
スタイルとは、外から見えるもの。
仕事の仕方。
人との関わり方。
言葉の選び方。
時間の使い方。
その人らしさとして、人から「見えるもの」。
一方で、哲学とは、その奥にある「見えないもの」。
「なぜ、そのスタイルを選ぶのか?」
その理由であり、根っこです。
つまり、
哲学は見えないもの。
スタイルは見えるもの。
こんなふうに違いが見えたとき、私は、ようやくわかったのです。
私には哲学がなかったのではありませんでした。
ただ、自分のスタイルを貫いてきて、
その奥にある見えない哲学を言語化できていなかっただけだったのです。
哲学は、足跡の中にある
今回の出来事をきっかけに、
「あ、これが私だったんだ。」
と気づきました。
つまり、
哲学はどこかに落ちているものではなく、
自分が歩いてきた足跡の中に、ずっとあったもの。
何度も何度も、
「私はこっちを選ぶ。」
そう決めて歩いてきた、その積み重ねの中にありました。
だから、哲学は考えて作るものではなく、
あとから気づくものなのだと思います。
そして、私はこんな言葉にたどり着きました。
哲学とは、「私らしくないことをしない」という積み重ね。
その積み重ねが、仕事のスタイルになり、生き方になり、やがてその人だけの哲学になっていくのです。
とても腑に落ちる言葉に出会え、私はとても清々しい気持ちになりました・笑。
あなたのスタイルが、いつか哲学になる
今、もしも「私には哲学なんてない」「私の哲学って何?」
と思っている人がいたら、どうか焦らないでください。
哲学は、探そうとしなくてもいいものだと思います。
自分らしいスタイルを大切にする。
自分らしくないことはしない。
どんな仕事の仕方が好きなのか。
どんな言葉を届けたいのか。
どんな人でありたいのか。
その小さな選択の積み重ねが、いつか、
「ああ、これが私の哲学だったんだ」
と気づくける日が来ます。私がそうだったように。
だから私は、今こんなふうに思っています。
私のスタイルが、いつか哲学になる。
そして、その哲学は、探しに行くものではありません。
今日まで歩いてきた道の中に、静かに息づいているものなのだと思います。

