季節の行事は旧暦でこそ楽しみたい!
端午の節供に見る、日本文化のかたち
― 意味は、時代とともに編み直される ―
季節の節目に宿る祈り
春から初夏へと移ろう頃に巡ってくる、端午の節句。
新暦の5月5日は過ぎましたが、旧暦では今年の端午は6月19日にあたります。
実は、日本の季節行事は、旧暦で体感すると、その本来の意味がより深く見えてきます。
そのため、美命の会所では、季節の行事をテーマにしたテーブルコーディネートも、旧暦の節目まで展示しています。
それはなぜなのでしょうか。
いまでは端午の節句は、「男の子の健やかな成長を願う日」として、鯉のぼりを立て、兜を飾る行事として広く知られています。
けれど、そのはじまりは、現在のイメージとは少し異なるものでした。
端午とは、本来「月の端(はじめ)の午(うま)の日」を指します。
その起源は、薬草を贈り合ったり、強い香りをもつ菖蒲を用いて邪気を祓ったりする、中国から伝わった厄払いの風習にあります。
明治6年以前、日本人が旧暦で暮らしていた時代、4月・5月・6月は「夏」でした。
つまり、旧暦の5月は、現代の感覚でいう初夏ではなく、夏の盛り。
さらに、湿気の多い梅雨の時期でもあります。
冷蔵庫も冷房もない時代、食中毒や暑さによる体調不良は、命に関わる深刻な問題でした。
古代において、人がもっとも亡くなる季節もまた、夏だったのです。
だからこそ端午の節句は、「いのちを守る」ための祈りの日でした。
自然とともに生きていた時代。
季節の変化に敏感であった古の人々は、香りの強い植物に邪気を祓う力を見出し、無事に夏を越えることを願ったのです。
現代の私たちも、熱中症対策をするのがあたりまえの6月なら、この時期に薬を贈り合っていた古の人たちのその風習はなんとなく理解できます。
端午の節句とは、文明のない時代を生きた人々の知恵であり、
自然への畏敬とともに受け継がれてきた、祈りのかたちでもあったと思うのです。
響きが意味を変えていく
それがなぜ、「男の子の健やかな成長を願う日」に??
日本に伝わり、宮廷文化の中で洗練されたこの風習に、大きな意味の変化が訪れたのは、武士の時代に入ってからのことでした。
菖蒲(しょうぶ)は、「尚武」「勝負」と同じ音を持ちます。
この響きが、武を尊ぶ武家社会の価値観と結びつき、端午の節供は「男子の成長と出世を願う日」として再解釈されていきました。兜や鎧を飾る風習も、この流れの中で生まれたものです。
もともとは厄を祓うための植物であった菖蒲が、音の連想によって「武」の象徴へと姿を変えていく・・・・そこには、日本文化のとても興味深い性質が表れています。

意味は、固定されない
それは、意味が固定されたものではなく、時代や人々の価値観によって、しなやかに編み直されていくということです。
たとえば、同じ五節句のひとつである重陽の節句も、奇数(陽)の最大値「九」が重なるため。「陽」の気の強さを祓うための儀礼でしたが、いつしか「陽」の重なりはめでたい日となり、やがて、「九」が「苦」を連想させることから、長寿や厄除けの意味がより強く重ねられていきました。
また、祝いの席に欠かせない鯛が「めでたい」に通じることや、昆布が「よろこぶ」に重なることなど、音の響きに願いを託す文化は、暮らしのあらゆる場面に息づいています。
こうした例に共通しているのは、「正しさ」よりも「響き」や「感覚」を大切にする感性です。論理的に厳密であるかどうかよりも、その言葉がもたらすイメージや余韻に祈りや意味を重ねていく・・・それは、曖昧さとも言えるかもしれませんが、それを凌駕する、日本文化の豊かであり叡智だと思います。
子どもの日へと受け継がれて
端午の節供もまた、そのような“編み直し”の中で、現在のかたちへと受け継がれてきました。
厄払いの儀礼であったものが、武士の価値観と結びつき、さらに現代では「子どもの日」として、すべての子どもの成長を祝う日へと広がっています。
意味は、ひとつではない。
そして、一度決まった意味が、ずっと変わらず続くわけでもない。
むしろ日本の文化は、時代ごとに新たな意味を重ねながら、大切な核だけを残して受け継がれていくものなのかもしれません。

意味を編み直すという営み
それは、形を変えながらも流れ続ける水のようでもあり、あるいは、織物のように糸を重ねながら新しい模様を生み出していく営みにも似ています。
だからこそ私たちは、古くからの行事に触れるとき、「昔はこうだった」という知識だけに捉われるのではなく、いまの自分にとってどのような意味を持つのかを、静かに問い直すことができるのではないでしょうか。
端午の節供に、子どもの健やかな成長を願う。
その願いの奥には、時代を超えて受け継がれてきた「命を守る」という祈りが、確かに息づいています。
そしてその祈りは、言葉や形を少しずつ変えながら、これからも新たに編み直されていくのでしょう。
器に宿る、静かな祈り
器もまた、同じなのかもしれません。
かつては日々の暮らしの道具であったものが、誰かの想いを映し、祈りを宿す存在へと変わっていく。
使う人、置かれる場所、そのときの心によって、器の意味は静かに重なっていきます。
美命ではこの季節、端午の節句にちなみ、菖蒲や龍、鯉などの文様を描いた器を制作しています。
現代では、季節の行事ごとに器をあつらえることは、なかなか難しいことかもしれません。
けれど、食卓に何かひとつでも季節を感じるものを添え、
節句の意味や、その背景にある祈りについて語りながら、食事を囲む。
そんな時間を持つことは、忙しい日々の中で、私たちの感性を静かに整えてくれるように思うのです。
私自身もまた、そのような暮らしを大切にしていきたいと願っています。
端午の節句というひとつの行事の中に息づく、
日本人が大切にしてきた「意味の柔らかさ」と「祈りのかたち」。
それを感じ、今の時代へと手渡していくこと。
それもまた、私が伝えていきたい「日本の心」のひとつです。
