桜は、神が訪れるしるし

古代の日本人にとって、桜はただの花ではありませんでした。
それは、暦であり、神そのものでもあったのです。
「さ」はやまと言葉では積極的を意味し、
「くら」は神の宿る場所。
つまり「さくら」とは、積極的に神が宿る場。
花が咲くことは、神が山から里へ降りてきたしるしであり、
その後すぐに散る姿は、再び去っていく神の気配と重ねられていました。
また、桜は農の暦でもありました。
花が散れば種を蒔く――
その年の豊作さえも、花の咲き様、または散り様に託していたのです。
桜は、美しさ以前に、生きるための聖なる木でした。
梅から桜へ、日本人の美意識の転換


桜が「観るもの」として意識され始めたのは奈良時代以降。
山の桜が宮廷や寺社に移され、やがて貴族たちはその下で歌を詠むようになります。
ただ、この時代に人々が愛でていたのは、桜ではなく梅でした。
奈良時代に編纂された『万葉集』には、桜を題材にした歌がおよそ四十首であるのに対し、梅を詠んだ歌は百首を超えています。
それが平安時代に入ると、やがて主役は桜へと移ろっていきます。
ここで見落としてはならないのは、
この時代にはまだソメイヨシノが存在しないということです。
当時の桜はすべて山桜。
種類も開花時期も異なり、次々に咲き継ぐため、
春の山はおよそ一ヶ月にわたり桜に包まれていました。
白、淡紅、薄紅――
移ろいながら続く桜の景色。
「春は桜」と日本人が感じるようになった背景には、
この長く豊かな時間の積み重なりがあったのではないでしょうか。
花見という文化のはじまり
平安時代になると、桜のもとで宴を開く「花見」が広がります。
『源氏物語』『伊勢物語』にもその様子が描かれ、
また『日本後紀』には、
嵯峨天皇が「花宴の節」を催した記録が残されています。
これが、文献上確認できる、最初の花見とも言われています。
一方で、庶民もまた桜を楽しんでいました。
歌人・西行は、こう詠みます。
花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにありける
静かに桜を愛でたいのに、人々が群がる――
それが桜の「罪」だと詠むほどに、
すでにこの時代、花見は広く行われていたのです。
江戸が育てた「宴」としての花見
花見を大きく広げたのが、戦国の世を終わらせた権力者、豊臣秀吉です。
安土桃山時代、文禄三年(1594年)、秀吉は奈良の吉野山で、五千人を伴う盛大な花見を催しました。
さらに四年後には、京都の醍醐寺において、千人の女性たちを招いた華やかな宴を開いています。
吉野山に集ったのは、全国の武将や文化人たち。
その場に居合わせた大名たちが国元へ戻り、秀吉にならって花見を催すことで、
この文化はまず武家社会へと広がっていきました。
宮中や武家に生まれた文化が、大名という媒介を通して庶民へと伝わっていく――
日本文化の広がりは、この花見からも見て取ることができます。
やがてそれは、武士や町人へ、そして広く庶民の楽しみへと育っていきました。
江戸時代に入ると、花見は庶民文化として定着。
三代将軍 徳川家光 は、上野の山に徳川家の菩提寺である寛永寺を建立し、
奈良・吉野山にならい、桜を植えました。
これにより、上野は江戸における最初の花見の名所となります。
江戸の庶民たちは、桜の下で飲み、歌い、春のひとときを大いに楽しみました。
しかしやがて、夜の宴は禁じられるようになります。
そこで八代将軍 徳川吉宗 は、
隅田川や飛鳥山(現在の飛鳥山公園)に桜を植え、さらに茶屋の営業を許可しました。
こうして新たな花見の場が生まれ、春になると多くの人々が集う、第二の名所となっていきます。
この頃の桜は、いずれも多種多様な山桜。
開花の時期が少しずつ異なるため、江戸の人々はおよそ一ヶ月にもわたり、桜を楽しむことができたといわれています。
いまの私たちは、桜前線を追いかけないかぎり、
これほど長く桜とともにあることはできません。
そう思うと、当時の春の豊かさが、どこか羨ましくも感じられます。
こうして、桜の下で飲み、語らう――
いま私たちが知る花見の原型が、形づくられていったのです。
ソメイヨシノという現代の桜
しかし、現代の花見は、かつてとは大きく異なります。
いま、日本の桜のおよそ八割を占めるのは、
ソメイヨシノです。
ソメイヨシノは、江戸末期から明治にかけて生まれた交配種で、
同じ性質を持つ個体を接ぎ木によって増やしたもの――
いわば、すべてがクローンといえる存在です。
その桜が、日本中に広がりました。
一斉に咲き、
一斉に散る。
花の時期は、わずか十日前後にすぎません。
また、山桜の寿命がおよそ二百年であるのに対し、
ソメイヨシノは七十年ほど。
十年で花をつけ、
二十年で盛りを迎え、
やがて五十年を過ぎる頃から衰え、
七十年でその命を終えるといわれています。
その時間の流れは、どこか、現代を生きる私たちの一生とも重なります。
かつて、一ヶ月にもわたって続いていた桜の季節は、
いまや、一瞬の出来事となりました。
そう考えると――
ソメイヨシノ以前と以後とで、
桜の捉え方が異なってくるのも、自然なことなのかもしれません。
儚さは「生」か、「死」か
桜といえば「儚さ」。
そして日本人はそこに「死」や「無常」を重ねてきた――
そう語られることがよくあります。
確かに、その側面はあるでしょう。
けれども、私は少し違う感覚を持っています。
それは、故郷・秋田の山で見てきた桜の記憶があるからです。
春、雪が解け、山が少しずつ色を帯びてくるころ、白、淡い桃色、やや濃い紅――
種類の異なる山桜が、次々に咲き継ぎ、それは1カ月以上にもわたって続きます。
雪国にとっての桜は、「すぐに散る花」ではありません。
それは、ようやく訪れた春そのものです。
長い冬を越え、
「やっと春が来た」という安堵と喜び。
そして、
「さあ、これから田畑に向かう」という、弾むような気分。
そこにあるのは、
儚さよりもむしろ、生への躍動ではないでしょうか。
そう考えると――
桜に「儚さ」や「死」を重ねる感覚は、
もしかすると、すべての日本人に共通のものではないのかもしれません。
農とともに生きてきた人々にとっての桜は、
命の循環と始まりを告げる存在。
一方で、
農作業から距離のあった貴族たち、
そして現代においては、桜=ソメイヨシノという
均質な美を見慣れた都市の私たち。
わずか十日で一斉に咲き、散る桜に、
人生を重ね、
そこに終わりの美を見出しているのは、
むしろ現代に生きる私たちの側なのかもしれません。
儚さは、「死」なのか。
それとも、「生の輝き」なのか。
桜は、そのどちらでもあり、
また、見る者によってまったく異なる意味を持つ花でもあると思います。
桜の時代は、また移ろう
戦後、日本各地に植えられたソメイヨシノは、
いま一斉に寿命を迎えつつあります。
植え替えの時代。
それは同時に、桜との向き合い方が変わる兆しでもあるのかもしれません。
再び、多様な桜が咲く時代が訪れるのか。
あるいは、まったく新しい桜の風景が生まれるのか。
桜は、ただ咲いて散る花ではなく、
その時代ごとに、人の心のありようを映し出してきました。
その花の下で、何を感じ、どう生きるのか――
今年の桜もまた、私たちに静かな問いを手渡してくれています。
美命では、この季節に合わせ、桜の器を制作しています。
あなたに、静かなるご加護が届きますように。
祈りを込めて、お届けしています。
