「夏越の祓え(なごしのはらえ)」に込められた日本人の祈り
6月30日は「夏越の祓(なごしのはらえ)」。
1年の半分が過ぎ折り返しの月であることと、旧暦では、4・5・6月が夏でしたので、6月は夏の最後の月でした(7月から秋となります)。
全国の神社で大きな茅の輪(ちのわ)が設けられ、多くの人が輪をくぐりながら半年間の穢れを祓い、残る半年の無事を祈ります。
もうすでに、設置されている神社もあると思います。

私はこの行事を学ぶたびに、昔の人にとって「夏を越す」ということが、どれほど大変なことだったのだろうと思います。
いまの私たちには冷蔵庫があります。
エアコンもあります。
病気になれば病院へ行くこともできます。
けれど昔は違いました。
食べ物は腐りやすく、疫病も流行する。
強い日差しの中で働き続けなければならない。
夏は命を落とす危険が最も大きな季節でした。
江戸時代までは、人が亡くなる数が最も多い季節は夏だったともいわれています。
もし今、冷蔵庫もエアコンもない暮らしを想像したらどうでしょう?
そんな時代に生きていたくない! が本音だと思いますが、きっと私たちも、「今年もなんとか夏を越せた」という安堵と喜びを感じるはずです。
夏越の祓えとは、まさにその喜びの日でした。
無事に半年を過ごせたことに感謝し、
これから迎える半年も健やかに暮らせるよう祈る。
一年の折り返し地点に立ち、自分自身を見つめ直すための節目の行事だったのです。
「祓え」とは何を祓うのか?
ところで、「穢れ(けがれ)」という言葉を聞くと、何か悪いことをした人だけに関係するもののように感じるかもしれません。
しかし、日本人が考える穢れは少し違います。
生きている限り、人は誰でも穢れを身につける。
それが古来の考え方です。
知らないうちに誰かを悲しませてしまうこともあります。
不用意な言葉で相手を傷つけてしまうこともあります。
また、私たちは毎日他の命をいただいて生きています。
魚や肉、野菜であっても、それはすべて命です。
古代の日本人は、その命をいただくこと自体にも畏れと慎みを持っていました。
だからこそ、「いただきます」という言葉が生まれたのでしょう。
自分だけは清らかである、と考えるのではなく、
人は誰でも不完全であり、
誰もが誰かに支えられ、
誰かの命をいただいて生きている。
そのことを忘れないために、半年ごとに身を清め、感謝とともに祈りを捧げる。
そこに日本人らしい謙虚さがあるように思います。
茅の輪(ちのわ)をくぐるということ
夏越の祓えでは、茅(ちがや)でつくられた大きな輪をくぐります。この形式は、江戸時代に生まれたものという説もあり、その由来には諸説ありますが、私は茅の輪をくぐる姿に「生まれ直し」の意味を感じています。
鳥居をくぐること。
洞窟に入ること。
海に入ること。
古来、それらは母の胎内へ戻り、再び生まれることの象徴でもありました。
半年間で積もった穢れや汚れ、疲れを手放し、新しい自分として後半の一年を歩み始める。
茅の輪くぐりには、そんな願いも込められているのではないでしょうか。

半年の感謝と、これからへの祈り
夏越の祓えの起源は、『古事記』に記された伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらえ)にあるといわれています。
千年以上の時を経て、その形は少しずつ変わりました。
宮中行事だったものが庶民へ広がり、地域ごとの風習とも結びつきながら受け継がれてきました。
文化や伝統は、時代後とともに変化、進化し続けているものです。
その姿を変えながらも、根底に流れる祈りは受け継がれていきます。
今年も無事に半年を過ごせたこと。
支えてくれた人たちがいたこと。
そして今日も命をいただき、生かされていること。
6月30日。
そんなことに静かに思いを寄せながら、残る半年の無事を祈りたいと思います。
ところで、茅の輪をくぐった際、茅を持ち帰るのはNG ですよ。そこには、くぐった人たちの穢れが無数に付着しているのだから、人の穢れを持ち帰ることになりますからね。ご注意くださいね。
