牡丹と菊 のあれこれ
日本の美に宿る祈りと象徴
美命の器を彩る文様には、すべて意味と物語があります。中でも代表的なのが「牡丹」と「菊」。いずれも古来より人々の心に寄り添い、富や長寿、そして祈りを象徴してきた花です。今回は、この2つの花に込められた歴史と意味をたどります。
美命の代表モチーフその1「牡丹」
── 仏教と融合した、富と華やぎの花 ──
牡丹は、中国・隋の時代、皇帝が愛したことで観賞用としての地位を確立し、やがて「富貴の花」「花の王」と称されるようになりました。唐の時代には、牡丹が唐草文様と融合し、仏教美術の中で「宝相華(ほうそうげ)」として描かれるようになります。牡丹の華やかさと唐草の永続性が結びついたこの文様は、「豊かさと繁栄が連綿と続くように」という祈りを象徴するものでした。
この思想と美意識は、遣唐使を通じて日本にも伝わり、平安期には宮廷文化の中で洗練されていきます。藤原定家(1162–1241)は、「牡丹の花を折りて仏前に供す」と詠み、最も美しい花を仏に捧げました。それは、牡丹が仏前にふさわしい花=彼岸の花とみなされ、神仏の領域に属する象徴へと昇華したことを示しています。やがて器や衣装、調度品の文様として定着し、現在に至るまで「吉祥」「繁栄」「富の象徴」を表す文様として愛され続けています。
また、もうひとつ、牡丹と深い関わりをもつのが「唐獅子」。文殊菩薩の使いである霊獣・獅子は、牡丹を食して体内の虫を癒やし、夜には牡丹の花の下で眠ると伝えられます。この物語から生まれた「唐獅子牡丹」は、力と安寧、勇気と慈愛の調和を表す組み合わせとして、仏教画や工芸品に多く描かれました。
さらに、牡丹とともに描かれる蝶は、魂の変化と復活を象徴し、鳳凰は徳の高い統治者が現れたときに姿を見せ、平和をもたらすと信じられてきました。
鳳凰は桐の木に宿り、60年に一度実る竹の実を食すといわれます。いずれも、天地の調和と永続する生命の循環を語るモチーフであり、美命の世界観と深く響き合っています。
美命の代表モチーフその2「菊」
── 日本の象徴となった、少し意外な物語 ──
菊は奈良時代、中国から渡来した花です。平安・鎌倉の頃には庭に植えられ、香り高く気高い花として貴族たちに愛されました。いまでは「天皇家の花=日本の象徴花」として知られていますが、その由来には少し面白い逸話があります。
菊をこよなく愛した後鳥羽上皇が、1221年の「承久の乱」に出陣する際、自らの旗印に菊の花を描いたのが始まりです。それまで、天皇家には家紋というものは存在しませんでした。家紋はもともと、戦場で敵味方を識別するために武士が旗に描いた印であり、戦に出ることのない天皇家には必要がなかったのです。しかし、後鳥羽上皇の反乱をきっかけに、天皇家の旗に初めて「菊の紋」が刻まれました。この出来事を契機に、菊は天皇家を象徴する花、そしてやがては日本そのものを象徴する花へと昇華していったのです。
菊には「長寿」「不老不死」という意味も込められています。その清らかで端正な姿は、権力の象徴であると同時に、静かなる品格と永遠の命への祈りを映し出しています。
美命が「牡丹」と「菊」を描く理由
牡丹には「豊かさと生命の華やぎ」を、菊には「品格と永遠の命」を・・・。
どちらも日本人が古来より大切にしてきた、美と祈りの象徴です。美命が器にこれらの花を描くのは、単なる装飾ではなく、日本人の精神性をかたちとして伝えるため。文様に宿る祈りや物語が、現代を生きる私たちの心に静かに息づくようにと願いを込めています。

